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第一回 部内射会開催

 昨日15日はあいにくの雨でしたが、第一回の部内対抗射会を行いました。
 少人数の射会ながら、そんなことを忘れさせるような熱戦が繰り広げられました。

 競技は、団体戦と個人戦の二種別で行いました。
 団体戦は、それぞれA,B,Cの3チームに分けて行い、1チーム四人編成で5立行い計80射の総的中数によって勝負を争いました。個人戦は、団体戦における個人の20射の的中上位6名を個人決勝進出として、決勝4射の的中数にて順位を決定するものです。

 チーム分けは、Aチーム(K部、T井、I上、M倉)、Bチーム(S田、H野、I垣、Y本)、Cチーム(S藤、H井、M吉、Y本M規子)と幹部・二回生がちょうど半分ずつ別れることに。

 団体戦は、三立目までは3チームが競り合う展開。しかし四立目にCチームが一歩抜け出し、五立目にAチームも意地を見せたが、Cチームが最後の立も無難にまとめて振り切り優勝した。

 一方個人戦は熾烈な争いとなった。個人戦決勝へ出場出来るのは上位6名。I上、S藤、H井、M吉の四名は確定していたが、残りの二つの枠を巡って、H野、I垣、M倉の三人で競射が行われた。三名による競者の結果H野とI垣の二名が決勝へ滑り込んだ。
 個人決勝は、H野とI垣が3中で並び、M吉とI上が2中で並ぶ。ここで、三位までが表彰される個人戦は4名にしぼられた。
 優勝決定の射詰に進出したのは、同中競射で滑り込んだH野とI垣の二名。優勝候補が沈んでいくなかで勝負強さを発揮した。優勝決定競射一本目は二人とも失中し勝負は二本目に持ち越された。運命の二本目、先に放ったH野の矢は的を外れた。ここでI垣が中てれば優勝。否応にも緊張が走る。この運命の二本目、I垣は見事的中させ優勝。戦前の評価を見事覆して存在感を示した。
 その後、2中の二名で三位決定の遠近競射が行われた。いつもは見慣れない霞的が立てられ、勝負はまた緊張感を増した。先に放ったI上の矢は一黒(的心の一つ横の黒周)に的中し、勝負は決したと本人のみならず誰もが思った。しかし、この競射は一筋縄では終わらなかった。その後に放ったM吉の矢は
ほぼ同じ距離のところに的中した!審判の幹部が的前で慎重に確認したところ、矢の口径の半分ほどM吉の矢が的心に近かった。この大接戦を制したM吉が三位入賞となった。

 試合後には、この日ちょうど見学に来てくれていた新入生と一緒に茶話会をして終わりました。
 新人戦以降しばらく試合から遠ざかっていたため、とても良い練習になったと思います。今後も練習を怠らず、来るべき選手権に向けて頑張っていきましょう。
Pict0001_2緊張の瞬間。個人戦出場への競射

弓道部のある風景①

 しばらく試合のない日々が続きますね。なんとも平和な時期のような気がしてしまいますが、今は来るべき兵選・関選にむけてじっくり射を立て直せる重要な時期ですよ。しっかり気を抜かずに目標を持って練習に取り組まなければなりませんね☆

 弓道場の桜もようやく八部咲きから満開の状態になってきました(^^)v
 昼休みに桜の下で食べるお昼ご飯は何ともお花見気分ですね。

 また、卒業生の方々に頂きました矢立てが届きました!!めちゃくちゃ綺麗です☆
本当にありがとうございます。大切に使います。
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コラム①

 結構このブログを見て下さっている方多いんですね(^^;)
 しばらく試合等もないので、それまでのあいだコラムや管理人の戯れ言のようなものでも載せていきたいと思います。

 今回は、数年前に朝日新聞に掲載されたコラムからです。

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 『背番号16 声からして』郡山高校 高尾治寿選手
 平成12年8月11日付 朝日新聞 より引用

 思いもかけない知らせだった。奈良大会決勝の二日後。午前八時に森本監督から電話がかかってきた。受けた母親の数江さんから、甲子園でのベンチ入りを伝えられた。半信半疑だった。
 午後からの練習で、メンバーの発表があった。「16番高尾」。背番号を手渡された。実物を手にして「本当なんだ」と、やっと実感できた。
 奈良大会開幕の二日前のミーティングは気が重かった。登録メンバー18人の当落線上にいることは分かっていた。「ミスしたらまずい」。内野ノックを受ける動きがどんどん硬くなる。同じポジションの選手の動きも気にかかる。捕球でも、送球でもミスがでた。
 発表された18人の中に、自分の名前はなかった。覚悟はしていたけれど、つらかった。そんなとき中嶋主将からメールが来た。「高尾がすごく頑張っているのを見て、頑張れたんや」。気持ちを切り替えた。翌日からも普段通り、下級生の練習に参加した。ユニフォームはいつも真っ黒だった。
 そんな姿を森本監督が見ていた。そして甲子園でのベンチ入りが決まった。甲子園では一塁コーチとして声をからした。九回、ベンチで代走の準備をしたが、出番はなかった。
 中学三年の春、選抜大会に出場した郡山を見て、志望校を変更した。入学して、レベルの高さに圧倒されたこともある。必死でくらいついてきた三年間だった。
 「郡山に入ってよかった。楽しかった」。改めてそう思った。
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 試合に出場できる(させてやれる)人数は決まっている。特に人数の多い女子ならなおさらだとおもう。それぞれの弓道に対する気持ちに遜色がないのもわかっている。
 それぞれの事情や思いもあるだろうけども、そのなかで「選手には選手の」「選ばれなかった者には選ばれなかった者の」役割を果たしていくのが部活動であり、兵庫県立大学体育会神戸支部弓道部であると思う。「チームとして」何が出来るかをそれぞれが考え行動できるようになったとき、「弓道部に入ってよかった、今まで頑張ってよかった」と心から言えるのだと思う。

 

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